足利尊氏 の弟、足利直義 の最期は「兄尊氏による毒殺」という『太平記』に記述された噂を支持する説が、現在も大勢を占めているようですが、反証は結構あるのですよね。

そのうちの一つ、観応3年(1352)正月、二人が鎌倉に入った時の「浄妙寺」の状況を考えると、そこに幽閉するって現実的ではない...というツイート。

 

 

まあ細かい事ですけど、でも諸説乱立しっぱなしの状態は何とももどかしいので。 未完の仮説は常に進化し続けなければいけないと思う。

 

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