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こんにちは。 前回の記事「「尊氏なし」という名の建武新政期の実情」に続いて、「西園寺公宗クーデター未遂事件」と「中先代の乱」の真相について語っておきたいと思います。   まずは、過去の関連ページのリンクを再掲し […]
こんにちは。 尊氏直義時代の「建武新政期」~「中先代の乱」あたりの実態について、以前から気になって気になって仕方なくなっていた事を文章にしておこうと思います。   まずは、過去の関連ページのリンクです↓ &nb […]
こんにちは。 みんな大好き足利直義の生年についてのお話をまとめておきます。(※年齢はすべて数え年です) 足利直義 は、足利尊氏(嘉元3年(1305)生まれ)の同母弟です。 直義の生年については、かつては「徳治元年(130 […]
こんにちは。 私が今このブログを投稿し続けている目的「あと半月くらいで、尊氏さんの100年後を見据えた協力者様に巡り合うこと」について、また別の切り口から語ってみようと思います。 尊氏さんにまつわる真実が、如何に大きな […]
こんにちは。 何から話していけばいいのか迷って2日も経ってしまいました。 時間が極度に限られているというのに何をしているのだ…(´;ω;`) 「たった1か月で、尊氏さんの100年後 を見据えた協力者様に出会えるのか?」と […]
足利尊氏のお墓は京都「等持院」と鎌倉「長寿寺」にあって、当時の複数の記録で、京都での尊氏の追号は「等持院殿」、鎌倉での追号は「長寿寺殿」と記されていますが、「長寿寺殿」については尊氏の生前から決まっていたらしいこと、その […]
足利尊氏 の弟、足利直義 の最期は「兄尊氏による毒殺」という『太平記』に記述された噂を支持する説が、現在も大勢を占めているようですが、反証は結構あるのですよね。 そのうちの一つ、観応3年(1352)正月、二人が鎌倉に入っ […]
畠山尚順 は、『明応の政変』によって主君 足利義稙(よしたね)と15年間離れ離れになりながら、義稙のために戦い続け、最後はミラクルな大勝利を収めることになる不屈かつ不死身の最強戦士。 戦略・戦術・戦闘力 すべてにおいて地 […]
前回の「尊氏と畠山尚順の先読み能力」が余りにマニアック情報過ぎて意味不明なので、畠山尚順のすごさを分かり易く3行でまとめてみます。 以下、Twitter投稿分。   というか『多門院日記』永正4年12月10日条 […]
初代将軍 足利尊氏 と、明応世代のヒーロー 畠山尚順 は戦い方が似てる。 ※畠山尚順(はたけやま ひさのぶ)は、室町中後期の『明応の政変』時期に活躍するスーパーHERO。 『応仁の乱』の一方の主役 畠山政長の嫡男。(…つ […]