こんにちは。 みんな大好き足利直義の生年についてのお話をまとめておきます。(※年齢はすべて数え年です)
足利直義 は、足利尊氏(嘉元3年(1305)生まれ)の同母弟です。 直義の生年については、かつては「徳治元年(1306)生まれで享年47歳、兄の尊氏と1コ違い」との説が主流でしたが、近年発掘された史料により「徳治2年(1307)生まれで享年46歳、兄の尊氏と2コ違いだった!」というかなり信憑性の高い事実が判明し最終決着を見た—— かと思いきや、未だ旧説をとる論説も少なくない…という、すっきりしない未解決状態となっております。
なので、私のこれまでのブログ記事とTwitter投稿分を以下にまとめてみました。
結論から言うと…「和暦では徳治元年だが、西暦では1307年生まれで 享年46歳、年齢的には兄の尊氏と2コ違い だか、実質1年半未満しか違わない年子のような兄弟」という、極めて難解な生まれです。(※基本的には徳治元年は西暦1306年、徳治2年は西暦1307年に対応するが、元日前後は太陰太陽暦と太陽暦でズレが生じます。)
「年齢的に尊氏と2歳違いで享年46歳」というのは絶対に揺るがない事実で、それ以外は私の推測ですが、まあたぶん99.9%合ってると思う。
☆まず過去ブログ記事 → 『Muromachi通り』「直義の年齢(その1)」
…直義の重厄(42歳)の祈祷が行われた年から「直義が尊氏と2歳差なのは確実」という話です。 ただしこの記事の時点では私は「直義は徳治2年(1307)生まれ」と思っていました。(←実際は、西暦はOKだが和暦が違う)
なお、この直義の重厄祈祷についての史料はあまり知られていないようなので、続きの「直義の年齢(その2)」も宜しけれは御覧下さい。 直義 と 光厳上皇(そして 尊円親王 )の最高に素晴らしいお話です。
☆続いてTwitter投稿分 (※上記ブログの2~3年後のつぶやき。直義の誕生日まで推理してみました。)
直義の誕生年って、『賢俊僧正日記』の記述から「1307年生まれ(尊氏の2コ下)」説で最終決着ついたのかと思っていたけれど、今でも「1306年生まれ(尊氏の1コ下)」説と併記されたりしてるんだね。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
まあ、後者は『公卿補任』の情報だから「間違っているはずがない!!」ってされているのかな? でも前者はプライベート密着護持僧・賢俊の情報だし、厄年の冥道供の事実からも尊氏の2コ下なのは絶対確実なのよね。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
つまり、1307年生まれか?1306年生まれか?って議論だと、永遠に平行線をたどるしかない。 でもみんな大好き足利直義の生年がはっきりしないなんて耐えられない!!
— m (@muromarockR) May 30, 2018
そこで考えたピコーン。
「1307年生まれか?1306年生まれか?」で答えが出ないという事はつまり… 「1307年生まれで1306年生まれ」って事じゃないか!!— m (@muromarockR) May 30, 2018
…そんなこと考えているくらいの時間はあった。
同じ事考えついた人がいたら友達になって下さい。— m (@muromarockR) May 30, 2018
ええと、直義の生年の話の続き。こわっぱキャラならいざ知らず、実質将軍レベルの直義の生年が当時の記録で混同されたのには、確かにそれ相応の理由がありそうだよね…って事で、「1307年かつ1306年生まれ」と考えると、なんと直義の誕生日がたった5日間に絞られる!…というどうでもいい話。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
まず、賢俊や冥道供の記録から「直義は、徳治2年(1307)に1歳だった」のは絶対動かない事実。 でも『公卿補任』の記述から、公的に「徳治元年(1306)生まれ」とされていて、それもまた間違いのない事実なんだよねきっと。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
この有り得ない矛盾を可能にする理論が一つだけあって、直義は「徳治元年(1306)生まれだけど、徳治2年(1307)は1歳だった」んじゃないかと思って当時の立春を調べてみたら…
— m (@muromarockR) May 30, 2018
旧暦&数え年の当時は「元日に加齢するのか、立春に加齢するのか」どっちの慣習がメジャーだったのかはよく分からないけれど、「立春加齢法」なら直義の生年の謎が何とかなる可能性がある。
「立春加齢法」については、8代目足利義政とその兄の政知の話ですが→http://m.reisenki.com/article/174169862.html— m (@muromarockR) May 30, 2018
もし徳治2年(1307)が、元日より前、徳治元年(1306)の末頃に立春がある年で、その立春の日~大晦日までに直義が生まれていたとしたら、「徳治元年(1306)生まれだけど、徳治2年(1307)はずっと1歳のまま(つまり、実質1307年生まれ)」って事になる。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
(理論的には可能だろうけど、他の具体的事例を知らないので責任は持てません。まあいいか。)
— m (@muromarockR) May 30, 2018
調べてみたら、(正確な立春は12月23日だけど)当時の暦では徳治元年(1306)末の立春は12月26日だったらしい。(※『大日本史料DB』徳治元年12月25日より)
つまり直義の誕生日は、徳治元年(1306)12月26日~30日の5日間のどれかってことに!!— m (@muromarockR) May 30, 2018
…とか言うどうでもいい話。
でもだとしたら、「尊氏と直義は1歳違いなのか2歳違いなのか?」という議論がますますややこしくなるな… 尊氏は少なくとも嘉元3年(1305)の秋(旧暦7~9月)以降の生まれだから、1年ちょっとしか違わないね。 やつら双子か。— m (@muromarockR) May 30, 2018
年齢的には2歳違いだけど、身体的には1歳違い。
遠くて近い、足利将軍兄弟尊氏直義。— m (@muromarockR) May 30, 2018
あと、直義と直義の奥さんの年齢についても一考 ↓
『賢俊僧正日記』の記述から、直義と直義室は同い年なのは確実なのだけど、直義室の懐妊~如意王誕生に関する公家たちの日記では、直義室の年齢が41歳ってなってるのと、42歳ってなってるのがあるんだよね。(ちなみにこの時直義は41歳。なので41歳が正解。)
— m (@muromarockR) May 30, 2018
直義室の年齢を正確に41歳としてるのが『園太暦』(洞院公賢)。それ以外の『通冬卿記』『師守記』では42歳。
おそらくみんな、情報としては(直義室の年齢を直接知っていたのではなくて)「直義の生年(年齢)」と「直義と室は同い年」って事を知ってて、それでこういう違いが生じたんじゃないかな。— m (@muromarockR) May 30, 2018
洞院公賢は、尊氏直義から私的に諮問を受けるような関係だったので、正確な直義の年齢を知っていたけど、他の公家たちは、「徳治元年(1306)」っていう公的記録から(直義の年齢を)計算したから、(奥さんの年齢を)1歳間違えたのでは?と。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
…というか、この直義室関連の記述から、公家界&『公卿補任』では直義の年齢が1歳違って認識されていた事を再認識した。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
…以上、Twitter投稿分ここまで。(※リンクとか少々訂正)
『公卿補任』で直義は「貞和五年(1349)で44歳」と記されている訳ですが、上記の直義室の年齢の考察からも、当時の公式記録(朝廷、公家界)では「直義の生年は徳治元年」とされていただろう事が分かり、これは正しい情報なのだが、まさか「徳治元年生まれなのに徳治2年もそのまま1歳だった」ことまではほとんどの公家は知らなかった!(なのでその都度、年齢を間違えた)…というのが真相なのでしょう。 ズコー (´・ω・`)
まあつまり、この事実により何がどうなるかというと、なんと 直義ファン が 直義の誕生日 に思いを馳せる事が出来る!という素敵な話、というTwitter投稿分 ↓
しつこく直義の誕生日の話に戻るけど、もし本当に徳治元年(1306)12月26~30日(旧暦)の間のどれかなら、新暦(グレゴリオ暦)では1307年2月7日~2月11日ってなる。
つまり、毎年クリスマス後の年末時期かバレンタイン時期に「直義Happy Birthday💕」イベントで盛り上がれる!!— m (@muromarockR) May 30, 2018
…じゃなくて、直義は水瓶座!!
— m (@muromarockR) May 30, 2018
…まあそれもどうでもいい話なんだけど、でも私がいつも当時の旧暦を新暦換算する時に(ユリウス暦ではなくて)グレゴリオ暦に拘っていたのは、正確な天空図が知りたかったからだったりする。
— m (@muromarockR) May 30, 2018
余談ですが天空図についてのTwitter連投分 → その1、その2、その3、その4、その5
さらに余談、明応世代の 足利義材 と 畠山尚順 の事も → その6、その7、その8、その9
以上、すっきりして頂けましたでしょうか。
毎年新暦2月7日~11日 は、直義の季節的誕生日(直義が生まれた当時と同じ太陽の位置、季節)なので、なんと明日から直義週間です!! まだ寒いけど、うっすら春が香り始めた時期に生まれたんだな~とか、直義の季節を感じてみて下さい。
(ちなみに… 今川了俊の手記『難太平記』の尊氏と直義の産湯のエピソードを考えると、尊氏はともかく、直義の場合「こんな寒い時期に産湯の桶にどうやって山鳩がやって来るんだ…」とかいう疑問が生じてしまわないこともないですが、まあ気にしない。 きっとお湯の準備中に桶の所に居たんだろうな、とか都合よく考える。)
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