こんにちは。 私が今このブログを投稿し続けている目的「あと半月くらいで、尊氏さんの100年後を見据えた協力者様に巡り合うこと」について、また別の切り口から語ってみようと思います。
尊氏さんにまつわる真実が、如何に大きな 可能性・将来性・発展性 を秘めたまま知られずに眠っているか… 今その全容を語るには時間が有りませんが、一端でも伝われば確信を抱いてもらうには十分のはず… と思い以下の話を致します。 きっと尊氏さんに特別な縁を持った方たちならば、私の拙い言葉の一から、十を感じ取ってくれるに違いない!と信じて。
さて、私は余程アピールが下手なのかATフィールドが厚いのか、これまで何年もの間、悲しいほど全く 室町研究の発展に繋がるチャンスや出会い に恵まれなかったのですが、それでも一応、少しでも切っ掛けを掴めた時は精一杯頑張って、そしてすぐに残念な結果に終わって… というつらい経験はいくつかして来ました。
そのうちの一つ、3年前の出来事を話したいと思います。 なぜならあの時受けた言葉 ——「(そういう研究の事なら)尊氏を好きな人たちを探した方がいいですよ。(とにかくうちじゃ無理)」—— それは長く私の傷となって、思い出すのも拒み忘れていたけれど、今になって思えば生かすべきアドバイスなのかも知れない… そう考え直しまして。
3年前、私はある私設(民間)のミュージアムに問い合わせをしました。 そのミュージアムで扱われる範疇の文化財で、尊氏さんに関連する ある歴史的美術品 について尋ね、それを手掛かりに研究を持ち掛けたかった…そこまでは行かなくとも、何かしらの「つて」や人脈、その先のわずかな可能性に繋がってくれればとの切なる思いで。 その時は今以上に追い詰められた状況で必死でした。
(確か時系列としては、初めにミュージアムの企画展を見に行ってアンケートを書き、メールで回答を貰えて、最終的に思い切って電話問い合わせをしてみた、そんな感じだったと思います。)
その歴史的美術品は 室町時代草創期 に作成されたもので、内容 については古記録で比較的詳しく残っており、現物 についても江戸時代初期までは確かに京都の某寺院に存在していたようなのですが、現在は行方不明となっています。(あるいはもう現存しない可能性が高いのですが、しかし私としては今も世界のどこかに存在し、必ず再び現れてくれると信じています。)
まず、その歴史的美術品が現存するか、あるいは現時点での行方について何かしらの情報はあるか尋ね(これはやはり不明との回答でした)、それを切っ掛けに内容に踏み込んだ話をして、研究(謎の解明)への興味関心を持ってもらえたらと期待しました。 というのも、この歴史的美術品には、まだ解明されていない とても深い意味 があるので。
ところでこの歴史的美術品というのは、6年前のブログ記事「直義の年齢(その2)」の最後の方で少しだけ言及したものです。 要約引用しますと「知っている人は知っている…くらいの知名度の文化方面の一級品で、今の所これに考察を加えた優良論文が2つほど、ただし全容解明はされていない」「とても感動する内容だが、最後のオチがすごい(直義的な意味で)…詳細は後日」といった程度の紹介ですが。
この「未だ解明されていない全容」には、尊氏に対する 直義の切なる想い が込められているので、私は個人的にとても重要視しているのですが、基本的には 文化方面 の歴史史料であるためか、政治史 においてはあまり顧みられていないようです。(実は、政道における尊氏と直義の相対関係など、二人の実態を示唆する内容に富んでおり、政治面 でも威力を発揮する史料なのですが…。)
学芸員の方との電話では、史料の文言についての未解明事実をいくつか指摘して、私の説が妥当なものである事は学芸員の方も納得してくれて、わりと長くプレゼンを続けたのですが、結果は上記の通り「(研究としては正しくても)協力は出来ない。(そういう研究をしたいなら)尊氏を好きな人たちを探した方がいい、うちでは取り合えない」ということでした。
(※追記:この記事UPの 3日後 に思い出したのですが「例えば某研究センターに持ち掛けたらどうか…」とも提案されたのすっかり忘れてました。コネのない一般人には全くコンタクトの取りようのない所なので、考える余地もありませんでした…。)
私がこのミュージアムに 尊氏関連史料 の問い合わせを試みたのは、かつて関係者の方で足利尊氏に関する研究をなさっていた方がいるので取り合ってもらえる可能性を期待したからですが、現在はその方はおらず「もしいたら興味を示していたかも知れないが、今はうちでは取り合う事が出来ない」と断られ、それですべて終わりました。
(まあそれは当然の回答だと思います。現物の無い美術品の研究 に予算が下りる訳はなく、すぐに利益が見込めないなら人員等の限られたリソースを割ける訳がありません。それが社会の現実・常識であって、研究においてもまた理想や理念が尊ばれる訳ではないのです。 しかし、学問の純粋性に何にも勝る価値を信じていた当時の私には、それが理解出来ませんでした。)
その時の私は上述の通りの状況で、またゼロから一人で尊氏研究の協力者を探し始めるような時間は到底無く、とにかく住む所を探して生きる為に働かなくてはならなかったので、そこで諦めるしかありませんでした。
…以上で3年前の出来事の話は終わりです。
私が扱っているものが一義的にはあくまで 学術的な研究成果 である以上、学術的な「つて」を求めるのが筋かと思っていた私は、その時はこの言葉を否定と拒絶の意味でしか受け取れませんでした。 でも確かに、もっと素直に原点に立ち返って考えてみれば「尊氏を好きな人たち」の方が可能性はずっと大きいかも知れません。
特に、研究成果の活用 において私が構想するものが、学術の枠を超えた多様的価値への拡張 であり、学問のキャンパスにとどまらないコミュニティへの拡散 ならば尚更、型にはまった生真面目な固定観念より、「情熱」こそ一番大切で一番簡単な 旗印 なのかも知れないな… と。 「尊氏」をキーワードにして、的を絞ることは、これまで私がどんなに願っても出会えなかった人たちへの 最短距離 を照らしてくれる様な気がする。 もう時間がない、他に方法がないなら、一か八かに賭けてみようと。
(ちなみに、私の構想を語った「Introduction 2」は、初版 が今年の5月で、9月に 改訂 を入れたものですが、初版ではもっと ビジネスライク なスタンスでした。 「私はいつも、利益そっちのけで理念とか理想とか 高尚なものこそ至高!って考えだから今まで上手く行かなかったんだ。お金にならない話に興味を持つ人なんていない、頑張ってお金になる話しないと!」と背伸びしてたので。 でもやっぱ もっと情熱や愛に訴えても良いのかも… と思い直し9月に改訂しました。 なお、中途半端に 英訳 してあるのは、初版では「日本に限らず世界に出会いを求めよう!」とビッグな事を考えていたためです。 余りに大変で途中で挫折してすみません。)
以上、私が協力者様探しにおいて「尊氏さん」を指標としている理由の一つのお話でした。 それから一応、独りよがりな素人研究ではなく、客観的な妥当性ある研究をしている事が伝わったら幸いです。
それからこの歴史的美術品、漢詩と山水図が描かれた 屏風 なのですが、本当に心から見つかって欲しい!!と願ってやみません。 なぜかというと、上記の過去ブログ記事で語ったように、直義の可愛すぎる「兄上大好きエピソード」を秘めているので。 …と言ってもそれだけではない、ある意味「あの当時の 尊氏と直義の関係性のすべてを凝縮し内包している」とさえ言える、余りに深い愛と葛藤と真相を壮絶に物語る 至宝 なのです。
私が得た 尊氏関連研究の成果 は、もちろんこの美術品に関する1点ではなく、このような謂わば ダイヤの原石のような真相 が、尊氏さんの生涯にわたって幾つも存在します。 このたった1点だけ取ってみても胸打つ物語を秘めている、ならば彼の生涯は一体どれほどの美しさを内に隠し持っているのかと。
それを世の中に広く伝え届けずに終わらせて良いはずがない!と思うのです。 ——— なぜなら、現代には 本当に美しいもの を 最高の美しさ で表現するためのエンターテイメントが溢れているのだから。
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