こんにちは。 何から話していけばいいのか迷って2日も経ってしまいました。 時間が極度に限られているというのに何をしているのだ…(´;ω;`) 「たった1か月で、尊氏さんの100年後 を見据えた協力者様に出会えるのか?」という無謀な賭けですが、でも心はどこか楽観的に信じています。
というのも、これまで過去ブログでも散々語って来ましたが、もともと歴史とは無関係な人生を送っていた私が 尊氏さんの秘密 や 様々な真相 を知る事になるなんて、単なる偶然とは思えないのですよね。 しかもそれは、とても一人では背負い切れない宝の山で。
だとしたら、この偉大な事業を担う役割を持った協力者様たちもきっといる、いなきゃおかしい!…という理論です。 たぶん尊氏さんがもう既に選んでいると思うのですがw
私の願いは、尊氏さんに関するこの全事実を公的に(あるいは利他的に)扱う事です。
尊氏さんの真実から得られる「果実」は、個人の業績や名声にするのではなく、公的に広く世の中に分かちたい、尊氏さん(あるいは室町幕府、足利将軍家)に関わる「土地」に還元したい、と願っているので、なのでここだけの話ですが、これらの研究成果を小出しに盗られて個人名義の成果にされてしまうのは本当に残念で困るのです。。
…まあ裏を返せば実は私、自分の研究成果をお金にするとか経済的な事考えるのが本当に苦手でして…。 好きなものには見返りを求めず全身全霊を捧げたくなってしまうのですが、でもそれじゃ現実的に生きて行けないよね(´・ω・`) (だからこのサイトの「introduction2」では、頑張ってお金になりそうな方法を考えてみました。)
ただ、そのお陰で最近ひょんな事から、鎌倉『長寿寺』のご住職様に「尊氏ファン」として名前と顔をお見知りおき頂くという、有り難いほのぼのご縁にあずかりまして嬉しい限りです。 まあ、口下手なので毎度「尊氏さん大好きなんです、えへへ」くらいしか言えていませんが。 (つまり、まさか『大日本史料』を千ページ回峰行するような室町研究マニアで絵まで描いてる、とは言えずにおります。)
(※千ページ回峰行については、5年前の過去ブログのこちらを→「いまはまだ、冒険の途中」 なお「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)とは、比叡山延暦寺の苦行最高峰のことです。尊い修行をネタ元にしてすみませんm(_ _)m )
やっぱりですね、自分でもずっと疑問に思っていたのですよ「なんで私が」と。 もともと史学科の学生とか日本史研究に関わりのある専門家とか、研究成果を何かしらに生かしていく人脈や「つて」がある人間の方が都合いいだろうに、なぜ全くの門外漢で、しかも「京都」や「鎌倉」や「足利」なりの関連する土地との縁さえ無い私が、こんなに色々な事を知る(知らされる)事になったのだろうと。
かつて身の上話をした5年前のブログ記事(→こちらにまとめてあります「再び、冥界の君へ」)で、「先祖が受けた旧恩に報いる為」と思ったのも事実ですが、それにしても…ね。
そんな事を考えながらとぼとぼと歩いていたこの夏の 足利日帰り旅 のある道すがら、ふと頭に降って来た様に思ったのは「私は人一倍「公」の観念が強いからかな」と。 自分で明かした研究成果を自分の「私」の為に使おうと思えない…なんて考え、誰にも理解してもらえそうにありませんが、でもどうしようもない私の性分で。
もし「選んでもらえた」と思う事が許されるなら、少しは自信が持てるかな……そんな事を淡く思った「樺崎八幡宮」からの帰り道、思わず赤御堂殿こと足利義兼さんの眠る空を振り返ったバス停までの40分の道のりの途中でした。
——って、40分って何だよ!…とか思われたでしょうが、足利市街地中心部のアクセスし易い「鑁阿寺」や「足利学校」と違って、「樺崎八幡宮」へ行こうとすると、どう頑張っても最短の最寄りバス停が徒歩30分で、現地での滞在時間を考慮して丁度いい帰りのバスを選ぼうとすると、帰りは次点の最寄りバス停(徒歩40分弱)を利用するしかないのです! しかもこの日は35℃近い超炎天下!! でも足利さん愛があればこのくらい修行のうちにも入りません。(そもそも、その土地を歩いているというだけで満たされるのが歴オタ)
「樺崎八幡宮」がある場所は、全体が「史跡 樺崎寺跡」になっていて、とっても良い所でした。 室町・足利ファンには全力でお勧めしたい聖地です。 ぐるぐる回って足利義兼さん拝んで湖畔でぼーっとして、トータル2時間半くらい滞在しましたが(そんなに長居する奴は私くらいだと思う)、それでも後ろ髪引かれながら帰路につきました。うう(´;ω;`) 近くの道の駅でお土産に買った手作りいちごジャムが超美味しかったです。
この冒険旅行については、まあ、旅日記を始めると私の事だからまた異常な長文になってしまうので結論だけ…ということで、この旅で得た 3大重要新事実!(私の中で)は、「足利義兼さん の潜在力」、それから「義兼さんの子で幼くして同日に亡くなった 瑠璃王御前 と 薬寿御前 という兄弟について思ったあれこれ」、そして「足利家の故郷・下野国足利と 尊氏直義兄弟 の関係」です。
私以前Twitterで「過去の偉人の記念館ってだいたい生誕の地に建てられるから、鎌倉に 尊氏直義記念館 建てて欲しい~」などとつぶやいて割と賛同貰えて嬉しかったのですが、しかし——— 二人が生まれたのは鎌倉だとしても「本質的な意味での「誕生の地」は足利だ…」「記念館建てるなら3都市で最も相応しいの実はもしかして足利だ…」と思い知って、以来一人戦慄しております。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
そんな事をぷるぷる震えながら確信しつつ、勝手に名産品を妄想して描いた図。リハビリ5枚目。 欲しい、本気で欲しい。
AI内蔵で会話できる!…とかいう設定では全くありませんが、妄想力たくましい室町ファンなら会話できるので大丈夫です。 クリスマス、ハロウィン、厄除け、招福、縁結び、聖地巡礼のお供、幕府設立… その他なんにでも使えて汎用性高いと思います。 なお、尊氏公のタレ目は「タレ眉」で表現しました。
という訳で、次回は瑠璃王と薬寿の話をしようかな。 もしくは、3年前のとある苦い思い出話…か、あるいは、京都・鎌倉・足利の3都市対抗「室町尊氏愛指数」的なものを私の経験から語ろうかと思います。
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